Theatre Collective HANCHU-YUEI

 2007年より、東京を拠点に海外での公演も行う演劇集団。すべての脚本と演出を山本卓卓が手がける。

 現実と物語の境界をみつめ、その行き来によりそれらの所在位置を問い直す。

生と死、感覚と言葉、集団社会、家族、など物語のクリエイションはその都度興味を持った対象からスタートし、

より遠くを目指し普遍的な「問い」へアクセスしてゆく。

 近年は舞台上に投写した文字・写真・色・光・影などの要素と俳優を組み合わせた独自の演出と、観客の倫理観を揺さぶる強度ある脚本で、日本国内のみならずアジア諸国からも注目を集め、マレーシア、タイ、インド、中国、シンガポール、ニューヨークで公演や共同制作も行う。

 『幼女X』でBangkok Theatre Festival 2014 最優秀脚本賞と最優秀作品賞を受賞。

090-6182-1813(制作)

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Artist Interview

​-日本×インド共同制作-

Photo:amemiyayukitaka

山本卓卓

 Suguru Yamamoto

劇作家・演出家。1987年生まれ。山梨県出身。

2007年に範宙遊泳を旗揚げし、すべての作品の作・演出を務める。

 

舞台上に投写した文字・写真・映像・色・光・影などの要素と俳優を組み合わせた独自の演出と、観客の倫理観を揺さぶる強度ある脚本で、日本国内のみならずアジア諸国からも注目を集め、マレーシア、タイ、インド、シンガポール、中国、ニューヨーク、シドニーで公演や共同制作を行うなど、活躍の場を海外にも広げている。

 

2012年より、一人の人間に焦点を当て生い立ちから掘り下げて作品化するソロプロジェクト「ドキュントメント」を始動し、『となり街の知らない踊り子』は3度再演され好評を博した。

『幼女X』でBangkok Theatre Festival 2014 Best Original Script(最優秀脚本賞)とBest Play(最優秀作品賞)を受賞。

『うまれてないからまだしねない』で第59回岸田國士戯曲賞最終候補ノミネート。

公益財団法人セゾン文化財団ジュニアフェロー。

急な坂スタジオサポートアーティスト。

インド滞在の55日間で、疲れたし傷つきもしたけれど、

コミュニケーションを怠るような逃げ場もなかった。

2015年にインドを初めて訪れた第一印象は?2017年の滞在でその印象に変化はありましたか?

 

人に「インドに行ってくる」と言うと「危ないところらしいからほんとに気をつけてね」と念を押されるのでまるで地獄のような場所なのだろうかと身構えて行ってみるとそんなことはなく、ただ地道に生活している人がいるだけでした。ガイドブックではしきりに「人生観の変わる場所」と謳われていますが、こちらにその気がなければ人生観など変わりません。確かに道端に野良犬は多いし野牛もいるし車のクラクションはうるさいし埃っぽいし。身構えて見つめてみれば嫌なことも不思議なことも危険もいっぱいありますが、それでも彼らはそこで普通に生活しています。身構え神経質になることで偏見を助長させるくらいなら、自然体で接した方がいかに旅が豊かになるかに気がつきました。2017年の滞在では宿舎にキッチンが付いていたことがとても良かったです。ホテルで出されるご飯を待つのではなく、野菜を買ったり肉を買ったり、彼らと同じ生活をしてみることで見える世界が大きく変わることに気がつきました。野菜売りのおじさんがオマケしてくれたり、肉屋のお兄さんは足の指に包丁を挟んで器用に肉を切ったり、そうしたことを目にし、接していくなかでその街との関係が濃くなっていく。あとは単に、みんなでご飯をつくったりするのはとても楽しかったです。旅公演をするとき(特に国外)は、キッチン付きの宿舎が必須だなと強く思いました。

 

2回のインド滞在で、どのようなリサーチを行いましたか?

 

彼らとのミーティングを重ね、デリーの人々の「生活」「社会問題」について聞きました。特に興味深かったのが商業都市グルガオン(現在はグルグラム)での人々の生活でした。ここは2015年当時から現在まで非常に急速に発展していました。人口が多く密集した隣近所からの干渉にうんざりした人々は、他人との関わりが薄いマンションでの生活を好み、静かな暮らしを求めてこの街に移住してくるそうです。常に新しいマンションが建築されていて、工事現場は砂埃がたちこめ、大きな猪が道を走っていました。と思えば、ピカピカのネオンの看板がついた巨大ショッピングモールが立ち並び、そのビルに入っている外資系企業で働くのが若者のステータスとされています。今回の作品の重要なモチーフに「霧」があるのですが、ニールがこの提案をした時に、グルガオンのほこりっぽいモヤがかかった街の景色を思い出しました。

2016年にデリーとケララで『われらの血がしょうたい』を上演されていますが、反応はいかがでしたか?

 

ケララは観劇マナーがあまり良ろしくなくてまずはそれに驚きました。上演中当然のように携帯電話は鳴るし、電話に出るし、写真を撮るし。もし僕が神経質な演出家だったとしたら発狂していたように思います。終演後に若いクリエイターが話しかけてきて「とてもよかった。観客のマナーが悪くて申し訳ない」と言ってきてくれたのが印象深いです。デリーはみんな真剣に観てくれていました。どうして同じ国でこうも違うのかよくわかりません。どちらの場所も若い人を中心に喜んでもらえたように思います。どの国でも若い人は柔軟だと感じました。

 

東京と福島のリサーチは、どんなことをされたのでしょう?

 

インドで彼らの「生活」や「社会問題」について我々がリサーチしたのと同じように、日本のそれを彼らに知ってもらう必要がありました。東京では渋谷や原宿を散策し、若者の流行や文化を体験しました。メンバーの埜本幸良の家に訪れ一人暮らしの生活を知ってもらい、福原冠の実家ではお母さんの手料理を食べ、とある家族の形を紹介しました。福島では災害と人災について考えました。「あったものが意図せずなくなってしまった景色」を一緒に見ながら、色々な話をしました。

これまでのマレーシア、タイでの共同制作とは違い、脚本から共作の新作共同制作でしたが、脚本ができあがったプロセスを教えてください。

 

まずリサーチやディスカッションを重ね、お互いに興味のある対象を探っていきました。その中で、「架空の街」「社会に適合できない人々」などのキーワードがでてきました。次に、3人ずつキャラクターを設定し、計6人を自由に使って短編をいくつか書き、組み合わせてひとつの脚本にするというスタイルを提案しました。一人のキャラクターを両国2人の作家の目線で多面的に描き、一人きりの執筆では生まれ得ぬ物語の展開に期待しました。僕が設定したのは、刑務所にいた男・食欲を抑えきれない女・かつて風俗業界で働いていた女です。稽古ではキャラクターの発見と深める作業をひたすらして、脚本にもフィードバックしました。

 

 

ニールとの共同作業はいかがでしたか?

 

ニールとは、聞いてきた音楽や、観て来た映画や、読んで来た本が僕と近いものがあり、そこで意気投合しました。彼の本棚や、積み重なったレコードを見て、うれしくなりました。例えば滞在中の大晦日、パーティーでDJ大会をした時、僕のかけた曲、ルー・リードの「パーフェクトデイ」にニールがすごく驚いた顔をして、「僕は今朝この曲のことを考えていたんだよ。それをSuguruがかけるとは思わなかった!」と言いました。そういう妙なシンクロがあって、インプットのセンスが似ていることで、信頼できる部分がありました。アウトプットに関しては、多分けっこう違うと思います。ニールの表現はより具体的だと感じるし、作り手としての筆跡は大きく違い、その違いを平らにせずに、そのまま舞台に乗せることを意識しました。

 

インド公演の反応はいかがでしたか?

 

表面的な新しさや形式にだけ興味を惹かれているのではなく、本質的な部分をみてくれているという手応えを感じました。終演後に感想を話しかけてくれて、観客ともコミュニケーションを取ることができました。

 

55日間のインド滞在制作ツアーは、ご自身と範宙遊泳という集団に何をもたらしましたか?

 

演劇というのは創作過程でコミュニケーションに比重を置く芸術でひとりでやるものではありません。お互いを理解するというのはとても難しいことだし、理解しあえないということに気づくのは傷ついたり疲弊することなのかもしれません。けれど、それに気づかないふりをすると、他者と深く関わることはできません。インド滞在の55日間で、疲れたし傷つきもしたけれど、コミュニケーションを怠るような逃げ場もなかった。つまり、コミュニケーションというものと、否応無しに向き合わねばなりませんでした。そのため、一緒に料理を作って食べたり、ミーティングを重ねたり、かつては馴れ合いのように感じて避けていたことも、積極的に取り入れました。この共同制作を経て、範宙遊泳という集団としてのあり方がより密接になりました。稽古場はより開放的になり、出演しないメンバーも顔を出して、作品に貢献するようになったことは、大きな変化といえます。

Artist Interview 

-範宙遊泳の宇宙冒険記6D-

埜本幸良

 Sachiro Nomoto

1986年生まれ。岐阜県出身。

青山学院大学経営学部卒業。2010年より範宙遊泳に所属。

イメージフォーラム映像研究所で実験映画を学び、俳優活動と共に、自身でも映像作品を制作している。

普段からボクシングジムに通うなど身体を使うことが好きで、舞台上でも身体的な演技に定評がある。

範宙遊泳ではアンドロイド・ミミズ・木星人など人間以外の役を演じることも多く、柔軟な身体と擬音の発音で、観客に強い印象を残している。

 

おもな出演作に、範宙遊泳『幼女X』、笛井事務所『怪談』『棒になった男』などがある。

場所が変われば、食べ物が変われば、枕が変われば、

自分も変わってしまう。

良いほうに転ぶかもしれないし悪いほうに転ぶかもしれないですけど。

たかくらかずきの脚本を初めて読んだ感想は?

 

今作のLINEグループに構想段階から様々なメモ書きが投稿されていきました。そこには生物学的な記述やらシステムやら概念やらが書かれていて。言いたいことは分かるが..と思っていました。

しばらくしてそれらが一本にまとめられた脚本を見た時は、なんというかすごく力を感じました。創作の。読み心地も良かったんです。

私小説のようなものだったのですが、どこか色気がありました。彼自身のそういう部分が出たんだと思います。

第2稿は会話体で書かれていて、あ、演劇をインストールしたんだなと思いました。

でも戯曲というよりはなんだろう。昔、算数の授業で立体の展開図を描きましたが、そういうのに近いような印象を受けました。そしてテレビゲームやプラモデルの説明書を読む時のようなワクワク感がありました。早くプレイしたい、組立てたいと思いました。

 

 

『幼女X』で何度も海外に行かれて久しぶりの国内新作ですが、海外での経験がもたらすものは何かありますか?

 

何かをもたらしてくれるのではないでしょうか。

かなり経験値を頂いたと思っています。演劇というより人間としての。

『幼女X』で国内外、沢山旅をしてきました。

その時に移動する身体、旅する身体があるなということを感じました。

場所が変われば、食べ物が変われば、枕が変われば、自分も変わってしまう。良いほうに転ぶかもしれないし悪いほうに転ぶかもしれないですけど。実際マレーシアでは開演ベルの鳴るギリギリまで腹を下し続けたこともありますし・・・インドでは場当たり中にトイレを溢れさせました・・・

けどそこで引かずに冒険し続ける。(食べ物のことだけではないです)

単なる移動ではないんです。例えばゲームの中では町から町に移動したらよりハードルが上がっていきますよね。移動中には魔物もいます。そうやって場所を変えるごとにレベルアップしている気持ちでやってきました。

山でもいいですけど、登る前と後では身体も違うし見える景色が違うんじゃないかと。

今回も新宿眼科画廊に10日間ちょっと通うことになりますが、画廊へ続く緑道を抜ける度に変化を楽しみレベルアップ出来たらなと思っています。

あと、NYで本番前にヘアスプレーを買いに行ったら店員のお兄さんが「Have a great night」と言ってくれました。そういうのとかすごく大事にしています。

毎日great nightを探しています。

 

 

「一人芝居」はそうでない作品と比べて、何か特別にされていることなどありますか?

自分に時間と空間が与えられているってことを意識しています。

普段は割と自分は後回しでいいよっていう性格で、調和とか色々考えてしまいます。

でも、どうやらそれだと今回は良い芝居を出来そうにない。この作品も時間も俺のものだ、と考えるようになりました。

否応なく自分を見つめるいい機会になっています。

 

独特な身体性をお持ちですが、体づくりなど意識していることはありますか?

 

非常に身体が硬いので不利に感じています。

その分上手く使おうという意識はあると思います。

身体に時間を割くのが好きで、公演がない時ほどゆっくりとストレッチやジョギングを楽しんでいます。贅沢な時間です。

 

 

俳優の視点から、俳優・山本卓卓はいかがですか?

 

数年ぶりに見ましたが、山本卓卓の作品をやる山本卓卓にとてもアップグレード感を感じています。iphone9くらい。魅力的ですよ。

うまくいっていなさそうな時は心の中で「そうやろそうやろ、ふふ」と思っています。

 

公演に向けて意気込みをお願いします。

意気込みます!

Photo:amemiyayukitaka

山本卓卓

 Suguru Yamamoto

劇作家・演出家。1987年生まれ。山梨県出身。

2007年に範宙遊泳を旗揚げし、すべての作品の作・演出を務める。

 

舞台上に投写した文字・写真・映像・色・光・影などの要素と俳優を組み合わせた独自の演出と、観客の倫理観を揺さぶる強度ある脚本で、日本国内のみならずアジア諸国からも注目を集め、マレーシア、タイ、インド、シンガポール、中国、ニューヨーク、シドニーで公演や共同制作を行うなど、活躍の場を海外にも広げている。

 

2012年より、一人の人間に焦点を当て生い立ちから掘り下げて作品化するソロプロジェクト「ドキュントメント」を始動し、『となり街の知らない踊り子』は3度再演され好評を博した。

『幼女X』でBangkok Theatre Festival 2014 Best Original Script(最優秀脚本賞)とBest Play(最優秀作品賞)を受賞。

『うまれてないからまだしねない』で第59回岸田國士戯曲賞最終候補ノミネート。

公益財団法人セゾン文化財団ジュニアフェロー。

急な坂スタジオサポートアーティスト。

私が演劇において「個人的である」という時、

それは今の私が考えていることのすべてを包み隠さず

社会にむかってオープンにすること、と同義であると言えます。

『タイムライン』は一人芝居で自作自演とのことですが、なぜ自身が出演しようと思ったのですか?

そもそも私は演技をしたくて演劇をはじめたのだということを、今作の稽古期間中に思い出しました。初期の範宙遊泳では私も出演していましたが、ある日から(特別な何かが起こったというわけではありませんが)演出に専念したいと思い退いていました。自作との距離をとりたかったのだと思います。

自作との距離をとるといっても、範宙遊泳でプロジェクションされる字幕はこれまで、私が映像ブースで心の中で台詞を唱えながらオペレーションしてきました。それは私にとって演技をしている行為と等価でした。遠隔の演技か、そうではないか、というだけのことでした。そのことに気がついたのは随分前のことですが、今年の2月にニューヨークで『幼女X』という作品を上演している最中に確信めいたものになりました。この、字幕の中でしか登場しない「アケミ」という登場人物の台詞は私が「発話したかった」台詞なのだということが、です。それに気付いたからには発話しないわけにはいかないと思い、出演することに決めました。

 

「個人的な物語」とのことですが、「個人的」の部分をもう少し詳しく教えてください。

 

あえて乱暴な言い方をしたという自覚はあります。本来ならば「個人的」という言葉と「物語」という言葉は相容れないものであるはずだからです。「物語」は至極真っ当な、他者にむかって開かれた表現方法であるはずで、これまで残されてきた数々の物語に触れてみてもそうであることは自明です。民話にしろ映画にしろ小説にしろ、それらが物語られている以上は社会的なものに他ならないのです。つまりそこに不特定多数の読者なり観客がいる以上、個人的であるということはありえないのです。本来の意味でいう「個人的な物語」は、日記、でしかありえません。それは私が演劇で目指すところではありません。

私が演劇において「個人的である」という時、それは今の私が考えていることのすべてを包み隠さず社会にむかってオープンにすること、と同義であると言えます。今作が私自身の身辺に関する物語である、とは到底言えませんが、私が今考えていることでは間違いなくある、というニュアンスであえてこういう言い方をしました。

 

 

たかくらかずき脚本の『宇宙冒険記6D』を演出していて、いかがですか?

 

上記のような意味でいうと、たかくらは非常に個人的な作家です。己の興味に向かってひたすらに、脇目も振らず書ききったな、という印象を持ちました。これはなかなかできることではありません。特に作家は書けば書くほど、己の興味というものを疑わずにいられなくなってしまうからです。彼はそういう煩わしい疑いを振り払った(のかもともとそういう人間なのか)かはわかりませんが、これが演劇においてアリなのかナシなのかなどということに固執せず彼らしく、のびのびと書ききったた。それと向き合う時間は私にとってはとても幸福なものでした。正直、よしわかった、あとは私に任せなさい、という気概で演出しなければ頓挫したんじゃないかな 笑。まあともかく、好きな脚本です。2作目も書くべきですね、いつかそのうち彼は。

 

作家脳・演出脳・俳優脳はそれぞれ違うものですか?どのように使い分けていますか?

 

まったく違います。作家は自室(喫茶店でもいいけど)で、原稿用紙と、あるいはパソコンと、にらめっこしながら自己と他者と向き合う能力をどうしても必要とします。演出は主に稽古場における総合的な関係の中でそれと向き合う能力を必要とします。俳優は演出と、脚本と、そして観客と、向き合うことによってようやく己の存在を立脚させられます。これらはまったく異なる性質の元にあります。私は今作において三役を兼ねていますが、演劇を深めるためには三者が互いの見地を知ればいい、ということではないということに気付かされます。知らないからこそ書けることがあるし、知らないからこそ演出できることがあり、演じられる領域がある。知ればいいということでもないのです。しかしながら私は、私が知りえないこと、に対する好奇心が強いタイプの人間でして、だからこそこんなことをやっているのですが、、、。良い使い分けの方法があったら知りたいくらいです。こんな面倒臭いことをやるのは、私だけで充分です。

 

海外公演が続いていますが、海外での観客の反応はいかがですか?手応えを感じられていますか?

 

幸いなことに、また来てね、また行きたい、というやりとりで終えた上演ばかりでした。行ったことのある国々で起こること(トランプ政権の波紋やマレーシア空港での暗殺やタイの国王の崩御など)は他人事のようには決して思えず、ああ、彼らは私の一部分を大きく形成しているのだな、と思う毎日です。

 

国内公演と海外公演、創作するうえで何か違いなどはありますか?

 

あんまりないですね。日本語と日本食がたまに恋しくなることぐらいです。

 

劇団結成10周年という節目の年ですが、意識することはありますか?

 

正直、10周年とオフィシャルに言ってしまっていいのかもわかっていません。というのも範宙遊泳はもともと学生演劇出身でして、その設立メンバーが卒業と同時に根こそぎ就職していったこともあり、10周年、と銘打ってピンと来るのは私と学生の頃からメンバーだった熊川くらいなのではないかな、と思ってしまうからです。観客にとっても、ここ3、4年くらいで範宙遊泳を認識したのではないかなと思うからです。特に意識していることはありませんね。いつも通りやっていきたいです。あ、でも動画をどんどん配信していきたいですね。ストックはあるので。意識しているのはそれくらいです。

 

次の10年間の野望を教えてください。

 

売れたいとか、人気ものになりたいとか、あんまりそういうことに頭を悩ませることなくここまでやってこれたのは幸福に思います。今後もそうであることを望みますし、ただひたすらに実力を磨き続けていきたいですね。

 

公演に向けて意気込みをお願いします

個人的には範宙遊泳は次のフェーズに入ったかな、とは思っています。よろしくお願いします。

たかくらかずき

 Kazuki Takakura

イラストレーター/アーティスト

範宙遊泳アートディレクター

イラストレーターとして、Pharrell williams、PUFFY、魔法少女になり隊などのドット絵を担当。

アーティストとしてpixiv zingaroにて『ピクセルアウト』を企画/主催。

また劇団範宙遊泳のアートディレクターとして、東京芸術劇場、マレーシア、インドなどで公演。

2016年より「スタジオ常世」の名でゲーム開発を開始、『摩尼遊戯TOKOYO』を開発中。

 

http://takakurakazuki.com/profile.html

演劇はもしかしたら

最古のプログラミングなのかもしれません。

アートディレクターとして範宙遊泳にどのように関わっていますか?今回はなぜ脚本を?

 

物語はシステムの上で成り立っています。ルールとも言い換えることができます。これは物理的に言えば舞台装置が俳優を縛るルールと言えるでしょう。最近の範宙遊泳にとっては映像がルールのひとつです。そのルールにについてアイデアを出したり、映像、画像の作成、あとは広報と本編をつなぎ、レールを敷く仕事を意図的にしてきました。観客はノン・フィクションの世界から公演の情報を知り、フィクションの世界である公演本編へと入ってきます。そのフィクションの世界へ入ってゆく道筋の設定は、実は広報の時点からしておかねばならないので、そのあたりをやってきました。

 

脚本を担当した理由としては、僕がやってきたことを山本がだいたいできるようになった、ということが大きいです。彼はかなり前から映像の作成もコントロールもひとりでこなせます。では僕も山本ができることをできるようになってみたいという欲望が出てきました。近年はゲーム開発などでシナリオを書くことも多くなってきたので、ストーリーへの興味が強くなってきたというのもあります。

はじめての脚本執筆はいかがでしたか?今後も書きたいですか?

 

とても面白かったのでまた書きたいです。

 

 

2011年に『宇宙冒険記3D』を上演していますが、今回の6Dではどんな変化がありますか?

 

実は宇宙冒険記に「3D」とつけようと言い出したのは僕だったと記憶しています。そのころは3D映画が出始めで、「でも演劇って3D映画よりぜんぜん3Dだよね?」というところから始まりました。今回は縦、横、奥行きの3次元にさらに時間軸、レイヤー構造、拡大率の3次元を追加して6次元(6D)としています。

メトロノームの公演ビジュアルは、どういった発想からですか?

 

ブロックチェーンについて調べているうちにたどりついたイメージです。

 

 

以前、演劇嫌いとインタビューでお話されていましたが、今はどうですか?どう演劇とつきあっていますか?

 

演劇の「いまここにいるんだ!」という主張がきらいです。今じゃなくても、すぎてしまっても、いつもそこにはそれがあるのに、そんな騒ぐことないじゃないか、と思ってしまう。たまに演劇をみても、そういうものが多くってうんざりしてしまうことがあります。だけど、演劇の好きな時があります。「もうここにはなにもない」というときです。ここにはなにもなくても、あった、あったものはずっとある。それは見えない世界を、遠くを思うことができてとても素敵な瞬間です。

 

最近ではゲームを作られていますが、イラスト、演劇、ゲームそれぞれの創作での共通点や影響し合うことなどはありますか?

 

脚本はやはりプログラムコードを書くのと似ています。演出家はそれを実装する役。ほとんどのデジタルコンテンツが演劇とほとんど同じシステムで動いています。なぜなら、ゲームやWEBコンテンツなどは、映画などと違いその都度プログラムを実行し、一回きりの「公演」を行うからです。プログラムが走っているとき、そのプログラムは目に見えませんが、それから実行されたファイルからゲームルールやストーリー、ビジュアル、音楽になって画面に現れます。なので演劇はもしかしたら最古のプログラミングなのかもしれません。

 

公演に向けて意気込みをお願いします。

😇