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NY4日目|大橋一輝


NY4日目

朝、いつものようにコーヒーを作ってヨーグルト。

一時間ほど、日記を書く。

もう少し書こうと思うが窓から見るといい天気。外にでることに決める。

手早く準備。

いつものように、戻ってきたらピックアップだけできるように本番用や、劇場に持っていく荷物をまとめておく。

NYの朝の街に出て、お馴染みGrand Central駅へ。

NYの街は、景色は、そこを歩く僕の身体と心は変化してきた。

この街が好きだ。もちろん、短い滞在の中で僕はまだNYの一側面しかきっと見れていないだろう。

しかし好きだ。

街を歩きながら、行き交う多種多様な人々の、それぞれの歩き方、表情、雰囲気、目を見て来た。人々の思想や生き方、己と他者というもののとらえ方を想像させられた。

いい具合の、大雑把さがいい。

しかしそれはきっと全て自己責任の上でだ。

そのある意味でのアバウトさは、自己責任の上で僕たちに個の尊重を与えてくれているような気がする。

信号を律儀に全て守ってる人は少ない。

車はそれとセッションする。そのことが大きな問題ではない。

人と人もそうだ。

この国には、街には、様々な国から様々な人々が様々な目的でやって来た。

様々な時間を経て、異なる人と人が出会って、影響し合って、ぶつかってきて、美しいことや血がでることもあって、それらが混ざり合ってここは形成されてきた。

そんな歴史と文化と生活と、価値観と風がある。

この街の懐は深い。

Grand Centralの駅からタイムズスクエアへ。タイムズスクエアからマンハッタンの南へ。

南へ降り立つ。

海が見える。NYの海に来た。

チケットを買う。フェリーに乗る。

Liberty島に行く。

そう、Statue of Libertyがある島にいく。

風が強い、海風が寒い。

マンハッタンの南から、Statue of Libertyは小さく見える。

フェリーからは小さくなっていくマンハッタンが見える。空は快晴、海日和。

寒いが外に出て、NYの潮風を浴びる。

Statue of Libertyが近くに現れる。

船で正面からStatue of Libertyを見た第一印象は、最初どきっとして、次に神々しさを感じた。

表情や像の質感、色、身体の肉付き、服装、冠、片方の手にもたれた本、もう片方は美しく天に掲げ、火を持っている。ディテールが入ってくる。細かい。

迎えてもらった気がした。

リバティー島に着く。

暖房の効いたカフェテリアてスターバックスのホットチョコレートをすする。

温まる。甘い。

自由の女神を正面から見る。

歴史を確認し、再発見する。

近くでみる。快晴。

小さな島を像を見ながらぐるっと回る。

アメリカの自由と民主主義の象徴。

世界各地からやってくる移民にとっての新天地の象徴。

フェリーに乗り、マンハッタンに戻る。

自由の女神小さくなっていく。

あんな小さな島で、あの方向に向かって、火を掲げて、一人じっと立って動かないでいる。

小さくなっていく女神と海をしばらくみる。

女神は孤独だ、と思った。

マンハッタン島に戻る。

歩く。

教会に向かう。トリニティ教会。

教会に入ると、空気が変わる。外の空気とは全くちがう。

正面には立派で綺麗なステンドグラス。

席について、力を抜いてこの空間に自分をあずける。何か大きくて優しいものに包まれているような気がする。手元には聖書がある。パラパラと見る。またステンドグラスを見て、空間に自分をあずける。

教会は建物も含め、なんだか好きだ。

外に出て、もとの空気に戻る。歩く。

ごはんを食べる。

サラダと肉とパンを食べる。

日本にいればお米が食べたくなるのだか、パンで事足りる。パサパサのスライスされたライ麦のパン。肉やサラダの入った容器に残ったソースをつけて食べる。美味い。

肉、美味い、大好き。

サラダ、美味い、大好き。

身体が喜んでいる。生きていると感じる。

ホテルに向かう。

地下鉄の駅まで歩く。新しい気持ちが芽生え始めていた。

途中でチャイナタウンを見つける。

もちろん、チャイナタウンがある。

ホテルに戻る。コーヒーを作って飲む。

ホテルの部屋の静寂にしばし戻る。

荷物を持って、劇場へ。

幼女Xという作品が生まれたのは2013年の2月。新宿眼科画廊の地下の小さなスペースが初演だ。

あれから4年間、色んな場所を旅して上演させてもらってきた。

東京、横浜、クアラルンプール、バンコク、札幌、名古屋、杭州。そして今回のNY。

来月には岩手で上演させてもらう。

4年間も、この作品と付き合っていくことになるとは思わなかった。この作品は範宙にとっても個人的にも、特別な作品だ。

この4年間で幼女Xを上演していない時に、役の彼のことや作品のことが時々入ってきていた。

いつも、心のどこかにはこれがあったと思う。

この作品と一緒に4年間を過ごしてきた。

僕たちが作ったこの作品が僕たちを色んな場所へ連れてきてくれた。

僕たちが作って育てたこの作品が僕たちを育ててくれた。

この作品がなかったら、今の僕は存在しないかもしれない。

書いている今、それを想像して少しぞっとした。

この作品のおかげで、僕とすぐるとさちろーちゃんはコンスタントに時間を共にできている。

ディスカッションして、それぞれアイデアを出して、一つの世界を立ち上げるためにクリエイションできている。

コミュニケーションできている。

上演の度、3人のそれぞれの今を確認できる。それぞれのチャレンジを認め合える、労える。

そこには時間と言うには容易過ぎる、それぞれと3人の詳細で繊細な情報の交換の蓄積がある。

言葉にする時もあるし、しない時もある。

共有することも、しないこともある。

もちろん、3人の表現者や人間としての駆け引きがある。稽古中、本番中、休憩中、旅先での移動中、旅先での空き時間。

そこで交換してきた全てのもの。

「3人」でコミュニケーションしてきたできた全てのもの。それが幼女Xの礎だ。

1人じゃなくて、2人じゃなくて、3人。この3人。

すぐる、大橋、さちろー。

3人で。

すぐると大橋で。

すぐるとさちろーで。

大橋とさちろーで。

すぐるで。

大橋で。

さちろーで。

3人で。

4年間、この3人で旅をしてきた。

演劇をしてきた。

それぞれの今を持ち込んで3人になって交換して混ざって、3人の今を舞台に乗せてきた。

今日も、それが始まる。

NY公演二日目の劇場入り。

今日は本番前にリハーサルはしない。おのおの準備して、本番に向かう。

楽屋でさちろーちゃんに出会う。

お互い準備する。ウォーミングアップをする。話したり、話さなかったり。交換は常にしている。今日の今のお互いを感じる。

すぐるがやってくる。軽く話して、すぐるは自分の楽屋に行く。

今日は本番前に3人で昨夜の公演のフィードバックなどはしない。する時もあるし、しない時もある。3人で培ってきたものがそうさせている。さちろーちゃんとすぐるでは、何か言葉を交わしたかもしれない。

僕は舞台上で軽くストレッチをして、今日の今の自分に耳を澄ませて、劇場の様子を見て、感じて、舞台上を少し歩く。

この作品の、役の、今の僕の、今日の今の種を探す。

少しハミングをして喉の調子を確認する。

楽屋と舞台上を行ったりきたりして、温かいコーヒーを時々飲む。チョコを食べる。

早めに楽屋に引っ込んで早めに衣装やヘアメイクなどの準備に入る。

入念なウォーミングアップは必要ない。

楽屋に戻る。

すぐるの楽屋からはクラシックのBGMが聞こえてくる。何かあれば、すぐるはやってきて言葉をくれる。

さちろーちゃんは舞台上でストレッチや身体を動かしたり、声出しをしている。

ヘアメイクやもろもろ、まだ完全ではないが身の回りを整えて、レッドブルを飲む。しみる。

外に最後のタバコを吸いに行く。

夕暮れのNYの街。綺麗だ。外の冷たい空気が心地よい。

楽屋に戻る。

残りの身の周り準備。さちろーちゃんは一回外に出て何か買って食べたみたいだ。

小道具のスタンバイやチェックをする。

全ての準備をして、じっとしたくなって、じっとする。

軽く気になる台詞のチェックをする。

今日の種は見つけていた。集中して、自分と役をクロスさせていく。さちろーちゃんは隣にいる。準備をしている。

お互いの気配を感じて、無意識でも交換して、影響し合っている、と僕は思っている。

日本から持ってきたカロリーメイトをかじる。さちろーちゃんの準備もだいたいよいみたいだ。開演が少し押す。

じっとする。

開演。

今日もたくさんのお客様。ありがたい。

舞台の上では僕とさちろーちゃんの二人だけだが、すぐるがプロジェクションのオペレーションをしている。すぐるが動かすスライド、絵、文字、色、写真。それらと、すぐると、セッションする。さちろーちゃんと、お客様と、この劇場を満たす全てのものとセッションし、交換する。もしかしたら、劇場内のみならず。

終演。

またこの役の、新しい面や感情に出会えた。

終演後、トーク。すぐるのみの登壇。

僕は日本で出会って、今はNYに住んでらっしゃる方が見にきてくれたのでお会いする。

行く途中、トイレの前で見てくれたお客様5人と会い挨拶、お話をする。

自分でも驚くほど彼らの言葉や何やらが入ってきて、僕も落ち着いてリラックスして話すことができた。英語も、深く考えることなくするする出てくる。楽しい。

気負う必要はない。英語の技術の無さにコンプレックスを持つ必要はない。自分を恥じることはない。でないと、溢れてしまうものがあるんだろう。言葉だけではない、人が発している目には見えないもの。コミュニケーション。

見にきてくれた、知り合いのお二人に再会する。

お二人の今に大いに刺激を受ける。

日本にお二人が住んでた時に、一度舞台を見にきて頂いたことがある。その時Kちゃんはまだ中学生。今は高校生になったようだ。

彼女の成長に少し目を見張る。以前は幼くて可愛らしい印象だったのが、顔付きが変わった。芯が太くなってるような気がした。声も変わった。出てくる言葉たちも広がっている。色々質問させてもらって、彼女がNYで生活し始めて感じていることを聞かせてもらう。

かなり刺激を受けた。

彼女の住む世界や環境は急激に変化し、出会う人や関わる人間も変化した。その中で彼女も変化していき、彼女の脳や身体には新しいシステムが構築されてきている。もともとあったシステムとの摩擦や拮抗を経て。彼女は、拡がっている。

NYで暮らす、生活する。ということに思いをはせる。陰ながらKちゃんのこれからを応援する。

Iさんも仕事が順調そうだ。IさんはNYで仕事をしている。

NYで仕事をする、それで生活する。すごい。

またお会いすることができたら、もっと色んなお話をお聞きしたい。Iさんのご活躍を祈る。

貴重で刺激的な時間だった。

素敵なお花を頂く。

トーク終了後、すぐるが言葉をくれる。

すぐるは特に最近、たびたび僕の演技の変化を感じとってくれて、言葉をくれる。

わざわざやってきてくれて、面と向かって言葉にしてくれる。嬉しい。こういうのが本当に励みになる。

しばし話す。

ありがとう。

ホテルに戻る。

シャワーを浴びて、少し荷物を整理して、ビールを飲む。

ふかふかの椅子に身体をあずけて、一息つく。

今日の出来事を反芻する。

色々なことを感じた。

午前〜劇場入りまでの個人的な時間。そして劇場入りから本番、終演までの3人での時間。

すぐるがくれた言葉を思い出す。その他の、彼と交換したものを思い出す。

さちろーちゃんの様子と交換を思い出す。

日記を書く。

明日はNYラストステージ。

3人で明日もいってきます。

一人では、できないことができている。

たくさんの関係者の方やスタッフさん、藤江ちゃんと共に。

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Theatre Collective HANCHU-YUEI

 2007年より、東京を拠点に海外での公演も行う演劇集団。

 現実と物語の境界をみつめ、その行き来によりそれらの所在位置を問い直す。

生と死、感覚と言葉、集団社会、家族、など物語のクリエイションはその都度興味を持った対象からスタートし、より遠くを目指し普遍的な「問い」へアクセスしてゆく。

 近年は舞台上に投写した文字・写真・色・光・影などの要素と俳優を組み合わせた独自の演出と、観客の倫理観を揺さぶる強度ある脚本で、日本国内のみならずアジア諸国からも注目を集め、マレーシア、タイ、インド、中国、シンガポール、ニューヨークで公演や共同制作も行う。

 『幼女X』でBangkok Theatre Festival 2014 最優秀脚本賞と最優秀作品賞を受賞。

『バナナの花は食べられる』で第66回岸田國士戯曲賞を受賞。

090-6182-1813

(合同会社範宙遊泳)

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